消えた天才 | 巨人1位ドラフト指名を拒否した天才は誰?入団拒否の驚きの理由とは!?

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6月23日放送のテレビ番組「消えた天才」で巨人1位ドラフト指名を拒否した天才というのが放送されます。

巨人1位のドラフトを拒否って凄いですよね。入団拒否の驚きの理由は?ってことで、とても煽ってますし、番組が見たいと思っちゃいます。

ということで、今回はドラフト指名を拒否した天才は誰なのか?

そしてその人の現在は?ってことで探っていきましょう。

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消えた天才★史上唯一!巨人のドラフト1位指名を拒否した天才

一流アスリートが競技人生のなかで、勝てなかった天才は今は表舞台から姿を消していますが、そのかつて凄かった人物の“第二の人生”を大追跡するというこの番組。

「驚きの転身」や「現在の姿」っていうのはとても興味がありますよね。

それだけの才能があったのにどうして?っていうのも非常に気になります。

ドラフト史上唯一、巨人1位を拒否したってことで、それはどう言うことか言うと巨額の契約金、そして名誉っていうのも全て捨てたって事ですからね。

巨人以外ならあるんですけどね。江川卓さんや今は巨人で活躍している菅野投手も日ハムへの入団を拒否しています。

現在は広島カープで活躍している長野選手も、2006年に日ハム、2008年に千葉ロッテの指名を拒否して、2009年に念願の巨人にドラフト1位で指名されて入団しています。

それだけ巨人からのドラフト1位指名っていうのは誰もが欲しがる名誉なんです。

それを拒否!っていうからそれは気になりますよね。

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巨人1位ドラフト指名を拒否した天才は誰?

さて、そんな巨人のドラフト1位を拒否した天才とは誰でしょうか?

調べて見ると小林秀一さんという事が分かりました。

1973年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツから1位指名を受けました。

しかし拒否したって事ですね。2018年現在、巨人から1位指名されて拒否したのは小林秀一さんのみ!

コレってやっぱり凄い事ですよね。次は小林秀一さんについて色々とご紹介していきましょう。

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小林秀一のプロフィール

 

本名:小林秀一(こばやしひでかず)

生年月日:1951年4月20日

出身:熊本県

ポジション:投手

経歴:八代第一高等学校→愛知学院大学→熊谷組

 

小学生の頃から、野球を始め投手として活躍。1967年、社台一高等学校に進学。

親元を離れ、寮生活をしながら野球に取り組んでいたってことですね。

1年生の時はオーバースローだったそうですが、後にアンダースローに転向。

1969年、三年生の時には夏の講師戦予選を勝ち抜き、中九州大会に進出。

準決勝で前年の大分県代表だった津久見高の二年生エース浜浦徹さんに投げ勝ち、決勝に進んでいます。

しかし、決勝で大分商に敗退し、甲子園出場は実現しませんでしたが、地元マスコミから“八代第一に小林あり”と呼ばれるほどの活躍だったそうです。

1970年には、野球の才能を買われて愛知学院大学へ進学。4年生の時にはエースとして活躍しています。

チーム10季ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手に選ばれていますからね。リーグ通算43試合に登板し21勝6敗、防御率0.93っていうから凄いです。

即戦力の右投げアンダースロー投手として評価され、プロのスカウトからも注目されていたということです。

それだけの逸材だったっと言う事でしょう。

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小林秀一が巨人への入団拒否をした驚きの理由とは!?

1973年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツから1位指名を受けました。しかし、拒否したという事ですね。

入団拒否をした理由は小林さんの将来の夢がプロ野球選手になることではなかったということ!

小林産の将来の夢は教員になることとアマ野球の指導者になることと言うことですね。

野球を中心にした生活をおくるという事は考えていなかったと言うこと。

それでも、あの巨人からの1位指名ということで、少し気持ちは揺れたという事です。

当然ですよね。当時の巨人の監督は川上哲治さんで同じ熊本出身でした。

そしてその川上監督自らが小林さんの元に出向いて説得をしたそうです。

「(入社が内定している)熊谷組は本業の仕事があり、次に野球だが、うちは野球で君を欲しいと思っている」

という説得文句だったようです。

野球をするのなら巨人にきてガンバレってことなんでしょうけど、この川上さんの説得が

“仕事として野球を選んだ訳では無い”

という小林さんの迷いを消し、断る決心が付いたということです。

皮肉ですよね・・

また当時は、今よりもプロ野球経験者が引退後アマチュア指導者になるのが難しかったと言うのがあります。

監督としても指導したいって夢があった小林さんにとって、やはり巨人で野球をするよりも指導者っていうのが大きな夢だったんでしょう。

熊谷組に進んだ小林さんは、8年間在籍して活躍しています。

その後、母校哀話学院大野球部の監督にも就任していますので、夢は叶っていますよね。

同大学野球部の監督として愛知大学野球リーグにおいて15年で12度の優勝ていうから名将でしょう。

脳梗塞で倒れて、監督を退任した後は、同大学の准教授として教壇にたっているそうです。

そういう人生もありですよね。

っていうか信念を貫いていて格好いいと素直に思いました。

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ネットの声

いかがでしょうか?この1973年は巨人のドラフト指名を拒否している人が結構いた見たいですけどね。

それでも名誉や契約金よりも、自分の信念を貫いた小林秀一さんは素晴らしい選手だと思います。

夢も叶えていますしね。6月23日の放送が楽しみです。

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