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ミスタータイガースといえば掛布雅之さんですよね。
阪神のオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザーでしたが、今期限りで退団と言うことです。
既定路線ってことですが、球団との確執とかじゃないのかな?
他にお嫁さんや子供など色々と調べて見ましょう。
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阪神・掛布SEAが今季限りで退団へ 球団幹部「既定路線」
【阪神 掛布SEAが今季で退団へ】https://t.co/CqSyf6A7Xt
阪神のオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)、掛布雅之氏が、今季限りで退団する方向。球団から引退勧告を受けた鳥谷敬内野手に続く激震。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) September 1, 2019
さらばミスタータイガース…。阪神のオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)、掛布雅之氏(64)が、今季限りで退団する方向であることが1日、明らかになった。契約の満了に伴うもので、球団から引退勧告を受けた鳥谷敬内野手(38)に続く激震。2人のレジェンドが相次いでタテジマに別れを告げることになる。
タテジマとの別れのときを迎えるのは、鳥谷だけでなかった。今季はオーナー付SEAとして、球団、現場に助言をしていた掛布氏の退団も決定的になっていることが分かった。
関係者の話を総合すると、昨オフの契約更新の際、球団幹部が「これが最後になります」と掛布氏にラストイヤーになることを伝えていたという。球団幹部は今オフの退団を「既定路線です」と認めた。
3度の本塁打王に輝き、ミスタータイガースとして1985年の日本一に貢献した掛布氏は、88年に現役を引退。以降は他球団のユニホームを着ずにネット裏から阪神を見守ってきた。
球団から長く遠ざかっていた掛布氏の阪神復帰は、2012年秋、ゼネラルマネジャー(GM)に就任した中村勝広氏(当時、故人)が坂井信也オーナー(当時、現電鉄相談役)に強く進言して実現したものだった。中村GMは、掛布氏の卓越した打撃理論、指導力を高く評価。若手の打撃向上を目的とし、13年秋、GM付育成&打撃コーディネーター(Development&Coordinator=DC)として、25年ぶりに復帰した。GMの統括下で2軍中心に指導、助言をすることになった。
15年秋には中村GMが急逝。掛布氏は球団本部付という立場になった。同年オフに金本知憲氏が監督に就任。新監督の要望で2軍監督に就いた。代名詞の背番号31でグラウンドに立つ姿に虎党は沸き立ち、甲子園での2軍公式戦には1万人以上が駆け付けた。だが、若手を猛練習で追い込みたい1軍と、選手の自主性を尊重したい2軍の間で方針の食い違いが生まれた。17年オフ、掛布2軍監督が退任し、坂井信也オーナー付のSEAとなった。
現場を退いた後も掛布氏はアドバイザーとして、解説業をこなしながらもグラウンドに姿を見せ、今季も不振の大山にアドバイスを送るなど、側面からの現場支援を続けていた。今回の処遇はオーナー交代が決定打となった。昨秋、坂井オーナーが退任し、藤原崇起新オーナー(電鉄本社会長)が就任。掛布氏の処遇はいったん新オーナーに引き継がれたが、契約延長は当初から1年限りの予定だった。
ファンとマスコミを大切にし、生え抜き最大のビッグネームである掛布氏に対する監督就任待望論は大きかった。だが、在籍6年間、一度も1軍の監督、コーチのユニホームも着ることはなかった。8月29日に引退勧告を受けた鳥谷に続く衝撃。球団の記録とファンの記憶に残るレジェンドが相次いで、タテジマを去る。
引用:Yahoo!ニュース
鳥谷選手に引き続き、掛布さんまでっていうのが正直な感想です。
普通に指導出来ると思うんですけどね・・・
1軍監督としての姿を見たかったと言うのが多いんじゃないでしょうか?
選手時代が良かったけど、指導者としては残念ですよね。
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掛布雅之さんが阪神を退団!
1988年に現役引退した掛布雅之さん。
阪神一筋でホームラン王に3回も輝いているレジェンドだと思います。
1985年には日本一も達成していますしね。
しかし、それから長らくは阪神球団とは縁がありませんでしたが、2015年には2軍監督もしていましたよね。
背番号31をお披露目したときにはファンが大勢詰めかけてましたよね。
それでも、1軍との考え方と違いというか、2軍監督も辞めて、シニア・エグゼクティブ・アドバイザーに就任してたんですけどね・・・
結局、1軍の監督にはなることはなかったんです。本当に寂しいですよね・・・
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球団との確執とは?
藤村富美男、村山実、江夏豊、田淵幸一、掛布雅之、岡田彰布、、、
昔から、Mr.タイガースと呼ばれた選手は最後、球団と揉めたりして、幸せな結末を迎えない印象が強いけど、鳥谷敬はどうするのかな。— もちたろう (@mochitarou75) August 29, 2019
現役を辞めたときも普通ならコーチとか将来の要請とかもあるはずですけど、そんなのも無かったですかね?
1987年に掛布さんが起こした飲酒運転での逮捕が球団側は気に入らなかったと言うこと。
「球団との溝」でなく、久万さんが亡くなったことに収斂される話だと思う。
RT @asahi (FOCUS)掛布さん25年目の復帰 球団との溝越え http://t.co/y660tsKBru— 党首(球技ライター大島) (@augustoparty) November 5, 2013
それで「欠陥商品」なんて言われたことが、掛布さんは球団に不信感を覚えたという事。
また掛布さんには金銭トラブルもあったということで、球団とは溝があったという事です。
それが故・中村GMの計らいで球団に復帰したんですけどね・・・
結局仲良くはなれなかったということなんでしょう・・・・
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お嫁さんや子供は?
https://twitter.com/sponichi_endo/status/1130687527919136768
掛布さんは1979年に結婚し子供も二人いますね。
お嫁さんは一般人ということで情報がありませんが、タレントになる予定だったということで、美人というのは間違い無いでしょう。
また子供ですが、長男は野球をしていたと言うことですね。
社会人野球をやっていたと言うことですが、プロというほど実力は無かったようで現在は普通の社会人として働いているんでしょう。
野球だけが人生じゃないですけど、家庭が幸せならイイですよね。
今後はまた解説でもして欲しいですけどねwww
期待しています。
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